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日々の破片

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2018-08-05

_ 低音フルートを愛でる

@nobsunから久々に連絡が来たと思ったら、低音フルートのコンサートをやるから良ければ来ませんか? というお誘いだった。

低音フルートってなんだ? と考えてみて、フルートのさらに高音がピッコロになるわけだから、その逆でオーボエみたいな太くて長いフルートで、かつフルートと呼ぶ限りは横笛なんだろうと演奏している光景を想像してみると、謎過ぎる。

というわけで、この目で見て聴いてみようと、妻と一緒に文京シビックホールに行くことにした。

舞台の上にとU字型に曲げた(なるほど長さが取れる)フルートのようなものや、立てて使う4みたいな形(横棒の部分があるので横笛的に吹ける)をしたフルートなのだろうと思われるものとか奇妙な管が林立していて、おーそういうことでしたかと納得する。

配られたプログラムを見ると裏表紙に、三響フルートとか古田土フルートとか(管楽器やらないから初見だが)低音フルートを作っている会社の広告が出ていて、なるほど、こういう世界もあるのだなと納得したり。で、それよりも、ぴかぴか棒'sというフルートの掃除用の布がおもしろい。ボウズなんだなとあとで知ったが、よくみるとTaku musicと書いてあって、指揮者のフルート奏者が多久潤一郎という名前なので、おもしろい副業だなと思ったり(退屈な掃除時間が楽しいひと時へ、とコピーが書いてあるので、プロだけに掃除もふつうよりもたくさんしているだろうから、掃除しているときになんかもう少しおもしろくならんだろうか、とか余計なこと考えて考え付いたのだろうかとか。おれは余計なこと考えて全然違う結論に達する人が好きなので気に入ったわけだな)。

プログラムを見ると(多分、その前に誘われたときに見たWebサイトにも書いてあったとは思うが意識しなかった)低音フルートを愛でる団とか書いてあってラムダ計算騎士団だか算法騎士団だかとのりが似た名前だなと思ったりしたが(そのくらい「団」という言葉の響きが特徴的なんだな、おれにとっては)、特に関係あるわけではないだろうなぁ。

始まるとやたらと芸達者な指揮者が登場してぺらぺら漫談しながら振り始める。

それから1曲目のモーツァルトが始まると、曲はつまらないが、音が無茶苦茶おもしろいではないか。

ピッコロやフルートはわりと鋭い音なので気づかなかったが、全然アタッカ(と呼ぶのかどうのか知らんけど、エンベロープの左端で最初のピークになるところだと想像する)がない(構造上、強く最初に吹くよりも平坦に持続させる必要があるからだと想像する、というか吹いたことないので全部が想像となるわけだが)ので、芯となる音がほとんど目立たずに(とすると、おれが音の芯として捉えているものは、実は単なる減衰する過程なのかな? それによって分離するから芯として捉えてしまうのかも知れないが、減衰せずに続くわけだから芯を感じないのかも知れない)ボーボー響くわけだが、その響きがとてつもなく複雑だ。おそらく、管の太さと長さから、反射回数が多いために、倍音成分がとてつもなく多いからだろう。

しかも数が4~50本くらいあるので、どえらく響き渡る(が、音量が大きいわけではない)。

おもしろい。ここまでとは想像してなかった。特に上のほうでもわーんと群れるような音がするのが抜群だ。

2曲目はサティのお前をちょーだいで、これは曲自体を良く知っている(というか弾けるし)ので、どうアレンジしたかとか含めて聴けるわけだが、なるほどそう来るのかの連続。特にシンコペーションで入るところとか、スリリングですらある。

しかも響きに誤魔化されるが、フルートはフルート(後で調べたら運指はふつうのフルートと同じらしい)なので速いパッサージュはふつうに速くて、その意外性にしびれる。

おもしろいなぁ。

3曲めはスパークという人のイーナの歌という聞いたことがない曲だが、指揮者によれば、(忘れた……(追記)ユーフォニアムと備前さんに教えてもらったが、チューバの一種なのか。全然違う楽器を想像していた)という楽器用の曲で(フルート奏者でもあるので)フルート用にして演奏したかったが音域が合わない、でもバスフルートの音域と等しいのでバスフルートのソロとしたというようなことが説明された。

これはなんだろう? 1曲目が響き重視、2曲目がリズムが作れることの説明だとすると、旋律楽器としての提示となるのかな。

・アルトフルート(腕の短い人用にU字型もあるが基本は直線)が普通のバイオリンの音域で、バスフルート(U字型というか、Uの1端が長いから、スティック飴みたいな形だからJのほうが正しいかな?)がヴィオラの音域で、コントラバスフルートが(説明ないが、意味的にチェロの音域となるのだろうか? これが4の形)

で、速いパッサージュの意外性を生かそうとしたのか、4曲目にファリャの火祭りの踊り(これ曲は知っていたが物語は知らなかったわけだが、指揮者の説明によって、亡き夫を呼び出すために火の周りを踊り狂うと、あの世から夫が召喚されて、一緒にさらに踊り狂うというコンテキストらしい。すごい話だな)。さすがに響きには慣れてきたので、演奏する人の指の動きとか指揮者の足元(なんか実にフォトジェニックな指揮をするので、つくづく芸達者な人だなぁと感服した。クラシック音楽で身を立てるにはなんかとてつもなく多芸な必要がありそうだ)。

で、1部が終わり、休憩のあとに2部。

なんか仮装大会みたいな雰囲気となり、とどめにコンプレッサーがシューシューやたらとうるさい馬をつけて指揮者が出て来て1曲やった時点で馬が邪魔だといって外しに行ったり、いろいろ。

スパイ音楽メドレーでは、ミッションインポッシブル3で、誰も寝てはならぬのところで、バスフルートにライフルを仕込んだ暗殺者が出てくるが、そんな楽器はオーケストラにはいないから、最初からばれるというような話が出る。

それにしてもおもしろかった(妻によれば、なんかカラオケの伴奏に良い感じの音だと思ったら、指揮者が歌い出したので、そうですよね、と同意したとか)。

で、帰ってからあらためてバスフルートとかを調べると、意外と20世紀初頭には作られていて、ザンドナーイがフランチェスカダリミニで使ったとか書いてあって、すさまじくおもしろい。

もちろん、ザンドナーイはプッチーニの弟子で、本来トゥランドットの完成稿の指名者なのだが、遺族の反対で取り下げられた(で、トスカニーニが憤激して途中で指揮をやめて帰ってしまうとか、いろいろエピソードが続く)わけだが、ミッションインポッシブルの世界線では、ザンドナーイが無事に完成させて、ついでに既存部分のオーケストレーションもいじくって(先生がご存命中にはバスフルートを想定できなかっただけで、今ならば、きっと採用すると言い張るとか)、当然のように、バスフルートが出て来ても何もおかしくないってとこまで織り込んだシナリオなのかもとか想像したり。

実に楽しかった。


2018-07-29

_ Clean Architecture 達人に学ぶソフトウェアの構造と設計

アスキーの鈴木さんからアンクル・ボブのクリーンアーキテクチャをもらったので、読んだ。

おもしろかった。内容にもほぼ同意できるし、良いことがたくさん書いてある。

ただ、読みやすくない(正確ではない。350ページの本に対して付録などを除外しても本文34章に分割しているので、読むのはたやすい。ただし、内容が相当前後するし、依存関係が逆転している章もある。全体像を示してから細部へ進むと言えなくもないのだが、全体像を説明するための用語は細部で説明されるため、逆に全体像を理解するのが難しくなっている(とおれは感じた)ところもある。また、おまけが唐突に最後に来るので、なに昔話してるんだ爺さん、みたいな印象も受けることをもって、読みやすくないとここでは表現した)。

本書が最も重視して、そのためにおそらく書籍の作り方にまで影響しているのは、徹底して、実装(詳細)と仕様(方針)を切り離して、後者だけにフォーカスするという方針だと思える。本気で原理原則だけを説明しきろうとしているのだ。

そのために、アーキテクチャといった場合に(少なくともおれにはそう受け取れる)システムが実現すべき機能を現実のソフトェアとするために考慮すべき制約に基づいた抽象から具象へのマッピングという意味でのアーキテクチャを説明したものではない。

そうではなく、複雑なシステム全体をどう構築するかの設計指針としてのアーキテクチャについて説明したもので、徹底的に抽象化されている。したがって、現実の技術として想定されているのは少なくともオブジェクト指向プログラミングが可能なプログラミング言語であることくらいだ(それすら重要ではないかも知れない)。

言いたいことはSOLIDの5文字からなる頭語で示されている。

Sが単一責任の原則(コンウェイ)

Oがオープン・クローズド原則(メイヤー)

Lがリスコフの置換原則(リスコフ)

Iがインターフェイス分離原則

Dが依存関係逆転の法則(DIPと称している)

2004年頃にマーティンファウラーなどとの議論で出てきた原則らしいので、目新しいものではない。その意味では、本書は2017年に上梓されたようだが、21世紀初頭のアイディアを実際のプロジェクトに適用して確信した後に書籍としてまとめたものだ。

あと、ヤコブソンのユースケース、エンティティ―コントロール―バウンダリー、つまりロバストネス分析に強い影響を受けているのが特徴だ。

SOLIDのうち、SOLは言うまでもないことで明々白々だから良いとして、IとDは()内に人名がないようにアンクルボブ(という名前の由来は付録に出てくる)たちの議論から生まれたもののようだ。

Iは分離と訳されているが、使わないモジュールを参照するな(ビルド時に依存するモジュールは、実際に依存するモジュールのみに限定せよ)、ということに尽きる。10章で詳細が書いてあるが、例がばかげているので意味が通りにくい(全体的に、コードを可能な限り使わずに説明しようとしている(このこと自体が、詳細に依存しないアーキテクチャを説明するための方便のようにすら感じる)のだが、逆に例が誰でも理解できることを意識し過ぎたのかどうにも説得力に欠けてしまっている側面があるとおれには思える。ちなみに、Iの例は、あるモジュールXを呼び出すA、B、Cの3つのモジュールがあるときに、モジュールXのうち、Bのみが依存しているメソッドを修正して(AやCの呼出しには仮に一切影響しないとしても)Xが再ビルドされたら、AやCも再ビルドが必要になるから、XとABCの間にインターフェイスをかませるべきというものだ(makeでタイムスタンプを判断してビルドする系の言語の場合は。だから動的言語のほうがこの面では良いと書いてあったりする)。くだらん(単一責任だけで十分っぽい)が、Javaを使ったシステムだと無いわけではないし、再ビルドしたら変更があるはずだということになるので、そのためにはQAプロセスをAやCに対しても行う必要がでてきて……みたいなことを想定しているのかも知れない。

というわけで、Iについては変更の影響範囲を明確化するために利用しているモジュールと利用されているモジュール、利用されているモジュール内での変更可能性に応じたインターフェイスを用意するべき、ということになるのだろう。いずれにしても、実装に利用する言語などに依存した詳細のように思える。

(追記-20180803 いや、重要だった。内容はくだらないという印象は変わらないのだが、次のDを実現するためには、Iがちゃんと設計できていることが大前提になるからだ。その意味でDと密接不可分の関係であり、実装時のビルドの話などとは切り離して、モジュールの依存関係を明示せよ、という原則として考える必要がある)

それに対してDはえらく重要で、本書の中では繰り返し言及される。というよりも、本書は、ほぼすべてがDの説明といっても良い。また、その重要性は理解できる。

最初、この箇所を依存対象のオブジェクトを注入する(ようするにDI)の意味だと受け取ってあとから混乱したが、もちろん本書はそういった詳細についての本ではなく設計の本だから、意味が異なった。

モジュール間の依存性を正しく整理するためには、必然的に依存関係を逆転させる必要があるという意味だ(確かにそう書いてある額面通りだったということだ)。

ここでの依存には、UMLでのuse(普通の矢印。とがったほうが依存している対象のモジュール)とinherited(白抜き△の矢印。△のほうが依存している対象のクラス)の両方の意味があるのがミソとなっている。

つまり画としては当然のことを書いているのだった。

AがBをuseする。CはBを継承する。このとき、矢印はBを中心にしていて、制御の向き(AがCを利用する)に対してCからBについては反転しているということに過ぎない。

ただし、DIPで解決すべき問題が2種類あるにも関わらず、説明が出現箇所によって1種類しか行わないために、おれにはすごくわかりにくかった。

まず1点は、循環参照に関する問題で、オブジェクトは相互作用するので、CからAへの呼出しもあり得るという点だ。したがって、AがCを呼び出すときに、c->func(this)と書くとそれはC側のメソッドシグネチャはfunc(A* aself)となっていることを意味し、つまり循環参照となり破綻するという問題をどう解決するか(ここまで還元してしまうと全体としては正しくないのだが、SOLIDのDの説明としては一番正しいと思う)ということだ。

ところが、11章でDIPについて詳細の説明っぽいものがあるのだが、この例がわかりにくい。依存関係にある下位モジュールは外部のものであるはずなのに、依存している(useする)モジュール側にファクトリやインターフェイスを置いているからだ。もちろん11章に出てくる図はこの図で正しいために、DIPで実際に実現したいことがぼやけているように思える。

つまり、DIPで解決する2点目として、外部モジュールを交換可能とすることが出てくる。このためには、本来直接useすべき(→が外部モジュールへ向く)依存関係を、内部のインターフェイスに向け、内部のインターフェイスというかプロクシを利用することで(プロクシは直接の外部モジュールと内部モジュールの中間に配置する)依存関係としては外部モジュールが内部のインターフェイスに依存しているように扱うようにする。

中間層はオーバーヘッドなので、薄ければ薄いほどよく、ここで外部モジュールといったものがシステムの一部であれば、呼出し元のインターフェイスに依存させる(というのが11章の図)、ということだった(19章では明確になっているが、ここのコード例もひどい。なおRubyのmixin可能なモジュールをプラギンとして扱えば、19章の悪いコード例そのもので正しく設計しているということもあり得る)。

しかし、ここでぐちゃぐちゃ書いていることの重要性についての認識はアンクルボブとおれとで全く疑問の余地もなく同じだとは思う。DIPを設計に組み込んでおくことで、外部コンポーネントのプラグイン化が実現できるからだ。通常、プラグインは、メインとなるモジュールが公開するインターフェイスに合わせて後刺しするモジュールを後から開発する。そうではなく、既存のモジュールをプラギンとして少ない労力で交換可能とすることで、すべての外部にあるモジュール(フレームワークであったりミドルウェアであったり)を交換可能とする。ここでも依存関係が逆転できているのがミソとなる。これによって、すべての外部に存在するインフラストラクチャをプラギン化できるように考慮する=すべてを詳細として設計本体から切断可能とする、という画だ。

この考えが正しいのは、ビジネスは永く、ソフトウェアの流行は短いからだ。そしてゼロから作り直すのは常に危険だということでもある。その観点から、もっとも必要な抽象エンティティというのは、実はドキュメント(自然言語で記述された)ではないかということになって、おそらくそれは正しいのだがさすがにそれを言うとある意味おしまい的なところがあるのか、そうは書いていない。だが、そういうことだ。

以下その他気づいた点のメモ。

P.136 図14-9はあえてそうしているのかも知れないが、StableにI=1の記述が抜けているので、それまで説明したIという変数の意味が不明になると思う。StableのIが1となるため、instableからのI=1の矢印に対してIの値が等しいので違反、と示す必要があるのではなかろうか。

P.187 上でも書いているが、悪いコード例がくそだ。

P.192 エンティティとはビジネスルール(という抽象)で、ユースケースはアプリケーション(という具象)。なんのメモだ(すでに忘れた)? 用語かな。後半以降エンティティという言葉ががんがん出てくるのだが、ECB(エンティティ、コントローラ、バウンダリー)のEなので、本書の他のパート同様抽象のように扱われているのだが、実際にはコンポーネントだったり実装だったりもするので明確ではないが、この箇所でエンティティを独立したコンポーネントまたは抽象としているように読めたということらしい。

P.234 正しい。

P.262 正しいというかおもしろい。

P.270 フレームワーク作者の自尊心よりも、設計を重視しろというのがおもしろい。(フレームワークは詳細なので身も心も依存するのはだめ、ということが主張しまくられていて、おれにはまったく同意なのだが、ここまできつく言わないとわからない連中がいるんだろうなぁ、と21世紀始まってすぐの頃のStruts以外の方法でWebアプリケーション作るのはばかと言わんばかりの論調やそれをまじめな顔でぬかしている人たちのことを思い出したのだった)

P.276 またいい加減な図。ViewModelを忘れたようだ(とメモしているが、ViewModelも詳細なのでどうでも良い話だった)。

P.283 ドメイン(とここでは記述しているが、P.192あたりでのエンティティ群のこと)を別コンポーネントとしてフレームワーク(=インフラストラクチャ)から分離している画が出てきているので、おれの読み方と考え方と合致していることが確認できた。

P.285 第34章はサイモン・ブラウンという人がアンクルボブのクリーンアーキテクチャを元に、自分の世界と擦り合わせて改変することを説明している。これはとても良い本だなというのが、この箇所で完璧に明らかになる。教条主義ほどくだらないものはないからね。

P.290 publicの用語としての使用方法が気に食わない。

本書を読む場合は、最初に付録Aの思い出話を流し読みするのが良いと思う。延々と古臭いことを書いているが、重要なのは、その時代のシステム制約とソフトウェア、そこで発生した開発上の問題と現実(運用上)の問題、あるとすれば解決の発見、ないとすれば次の時代へ持ち越された問題の本質、そういったことから、どういうモチベーションで本書が書かれているかと、ソフトウェア開発はハードウェアとコンピュータサイエンスの発展によって助けられながらもどうも同じことを繰り返しているようだ(当然、問題も持ち越されているようだ)ということを念頭に入れたり、自分のケースに引き寄せたりすることで、本文が読みやすくなると思う。

Clean Architecture 達人に学ぶソフトウェアの構造と設計(Robert C.Martin/角 征典/高木 正弘)

抽象度合いが高いので、そう簡単には古びない良い本だと思う。(古びさせないために、あえて極端に古い例を出しているのか?と疑問に思うところもある(12章)が、温故知新を肝に銘じているのかも知れない)

特に、無敵にプログラミングしている(というかプログラミングできる)20代とかのうちに読むと良いのではないかと思った。が、開発している間は読む価値大いにある。

電子書籍で買うなら達人出版会が良いと思う。PDF(EPUBもある)だし。


2018-07-21

_ ギロチン

何か月か前に学芸大学前に飯食いに行ったとき、道に迷って入り込んだ小路にやたらと品が良い古本屋があったので、つい立ち寄って、なんとなくダニエル・ジェルールドのギロチン(死と革命のフォークロア)を買った。

ちょうどサンソンの本を読んだり、1789を観た頃で、ギロチンに運命付けられていたのだ。

死刑執行人サンソン――国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)(安達正勝)

(えらくおもしろいが、ギロチンではサンソンの歴代記はあまり信用できないもの扱いとなっている)

で、晩飯を食べながらちびちび楽しんでいたのだが、残念、ついに読了してしまった。

著者は、全然知らないが、おそらく英国人なんじゃないかと思ったが、後書きには、ニューヨークの演劇人のようなことが書いてあったので、少なくともアングロサクソンっぽくはある。

なぜ、そう考えたかといえば、この著者は不愉快なことに徹頭徹尾、フランスの第1革命を憎んでいるとしか考えられないからだ。バイロンやディケンズはじめとしたイギリス人の描くギロチンにたいして賞賛が多く、幻想には讃嘆、革命の現実には鉄槌を下しまくり、フランスでのより苦痛を少なくするための工夫には冷笑、王政復古期の虐殺はスルーなど、えらく偏見に満ちている。

ダントンが出てくれば、必ず枕詞に「好色」がつくし(多分ビュヒナーの影響だろう)、ロベスピエールが出てくれば必ず枕詞に「冷酷」がつく。

というような、妙な偏見と、王様やイギリスへの偏愛が目立つが、政治書でも思想書でもないから、そこにさえ目をつむれば、おもしろい。

本書はとても奇妙な本で、ギヨチン博士によるフランス革命直前のギロチンの発明(徹頭徹尾ルイ16世の介在を否定しているし、どういうスタンスで書いているのかえらく不思議な点はある)からフランスでの死刑廃止による滅亡までを、文学や美術におけるギロチンの取り扱いと、当時の死刑を報じるニュースから構成して、どのようにギロチンが人間の死と生に影響したかを記述したものだ。アカデミックではない考現学と言える。

幅広さは圧倒的で、日野日出志の作品が取り上げられているのには驚いた。

でも、日本でギロチンと言えば、絶対、男の星座の太宰治がギロチンギロチンシュラシュシュシュと歌いまくる場面だとは思うが、著者はそれほど日本のマンガに詳しいわけではないようだ(というか、知っていたらある意味妙だ)。

男の星座1(梶原 一騎/原田 久仁信)

(主人公太一の父親の思い出話として、太宰治が宴席でギロチンギロチンと楽しく歌いまくるシーンが出てくる)

取り上げられた作品で、実際に読んだことがあるのは数編、知っているもので10前後、60%以上はまったく知らないものばかりだ(とはいえ、カスクドールのように知っているとも知らないとも言える微妙なものも多い。それにしても、カスクドールが実在の女性とは知っていたが、乳房丸出しの写真を販売していたとは知らなかった)。

肉体の冠 [DVD]

(本物のカスクドールの写真を見たあとだと、シモーヌシニョレの美しさは本当に特別だと痛感する)

というわけで、残虐な刑の追放というかたちで始まったギロチンが、サンキュロットのルサンチマン発露の場として大量虐殺装置に転化し、死の持つ崇高さや恐怖や畏敬が、単なる機械的な作業に置き換わった結果、死刑に道徳的価値がなくなり、大衆娯楽に転化する。その結果、英雄的に死ぬという晴れ舞台化する(ラスネールがここでの主役)。(その一方で、ふくろう党などの反動勢力を持ち上げる英文学をやたらと評価しまくっていて、気味悪い)カリブ海ではヴィクトルユーグが革命→奴隷解放→悪徳商人や農場経営者に対するギロチン→王制復古→解放奴隷の再奴隷化→逃亡奴隷に対するギロチンという180度転換しながらギロチンの刃を落としまくる(カルペンティエール)。

光の世紀 (叢書 アンデスの風)(アレホ カルペンティエル/杉浦 勉)

(この作家は本書を読むまで知らなかった。無茶苦茶おもしろそうではないか)

かくして死刑がほとんど笑劇と化したことで逆に首にまつわるエロティックなファンタジーが作られていく(19世紀前半)。さらに大衆化することで、メロドラマと凶悪犯罪による死刑の大衆化が進む。ギロチンはすべてをやり直すための救済装置となる。

19世紀末期になりアナキストによるテロルが本格化するとともに、ギロチンは新たな見せ場となりつつ、表舞台から裏舞台へ移る。

ヴィシー政権はがんがん殺しまくる。

しかし、既にギロチンは見世物にもならず、恐怖でもなく、何の役にも立たない。単に、死刑囚をびびらせるだけのうんざりする、しかし厄介な存在となっているのだ。

当然、ギロチンはお役御免となり、フランスは死刑を廃止する。

ギロチン―死と革命のフォークロア(ダニエル ジェルールド/Daniel Gerould/金沢 智)


2018-07-09

_ 新国立劇場のトスカ

飯守監督最後の作品。

指揮者のロレンツォ・ヴィオッティがすごく立体的な音を作って、出だしから良いのなんのって。テンポは速い。

カラヴァドッシのホルヘ・デ・レオンとトスカのキャサリン・ネーグルスタッドは、立ち居振る舞いは良いのだけど、なんか音が重たい感じでちょっと違う感がある。ただ、そうはいっても舞台そのものは良いので、微妙な残念感がないわけではない。立ち居振る舞いの良さといえば、飛び降りが実にきれいだった。

スカルピアのクラウディオ・スグーラはやたらと背が高くマントが似合って、なんかメフィストフェレのようだ。カーテンコールで指揮者と並ぶとなんか兄弟みたいな雰囲気でちょっとおもしろい。ただ、あまり印象がない。

先日、友人の家で観たザルツブルクのスカルピアが死にきれずにサンタンジェロまでやってきて、トスカを射殺する演出(ということは、トスカは地獄でスカルピアには会わないんじゃないかな。殺してもいないし、自殺もしていないから、救済されるハッピーエンドのように思う)のような脚本外の演出は一切ない(と思う)いつもの新国立劇場のだが、悪くない。

子供が1幕が終わった後、なんでアンドレ十字なんだろう? と言っていたが、これで観るのは3度目なのに、まったく気づかなかった。

で、2幕で、聖アンドレア教会というセリフが出て来て、なんと芸が細かい演出なんだと驚いたが、何しろおれ自身は気づいていないのだからしょうがないな。

で、固有名詞に気を取られるとファルネーゼ宮ってどっかで聞いたことがある名前だが、とか余分なことを考えて、ああ、ベルセルクに出てくる女性かと思い出したのだが、そのあと、古本で買ったデビルマンGを読んでいたら、シレーヌが召喚されるシーンがまるで蝕のようで、いろいろシンクロニシティするなぁと思ったりとか。

デビルマンG(グリモワール) コミック 1-5巻セット (チャンピオンREDコミックス)(永井 豪)

なんか最近、高遠るいを読みまくっているのだが、この作品が今のところ一番気に入っている。換骨奪胎と構成と絵柄と、どれをとっても好きなマンガだ。


2018-07-07

_ 正しい日 間違えた日を観る

友人に誘われて正しい日 間違えた日を観にヒューマントラストシネマ有楽町。

誘いのメールには「ホン・サンスを観よう」としか書いてなかったから、ボン・サンスというフランス人作家の書き間違いじゃないかと思ったら、韓国の作家だった。韓国の作家をバイネームで観るのはイ・チャンポ以来だからどえらく久しぶりだ。

なんか3本同時にやっていて、一体どれに誘われたかわからなくて閉口したが、時間が指定されていたので、無事、正しい日 間違えた日のチケットを買えた。それにしても、TOHOシネマに比べると、あらゆる点で劣った購入システムで閉口した(確認メールが来ない、秘密キーとして暗証番号を利用するのだが、強調しないのであわや忘れるところだった。チケットの価格や有効期日の短さを考慮すればもう少し賢く作れないのか? あと、発券端末が専用ペンのタッチというのも使いにくい)。

と、いくつかの関門をたどって、会ったので、一体何者か? と聞くと、日本とフランスでだけ人気があって、フランスでは特に韓国のロメールと呼ばれているが、そこまでは大したことはない作家、と教えられる。

わけわからん。本国よりも日本で、というのは、単純な人口比ではなかろうか。タイプの客が日本に1000人(いちおうは、単館上映可能な人数)いるとしたら、韓国だと400人となり、そりゃ本国よりも日本のほうが人気ということになるだろうけどなぁ。

で、観たら抜群におもしろいではないか。

ロメール(おそらく、無用なBGMがなく、会話主体で少し奇妙だが、日常の切り取りがうまく、そこに物語が存在する)と言えなくもないが、おれには、むしろキアロスタミの韓国版というか、キアロスタミは死んだのだから後継者と言ったほうが正確に思えた。

会話主体で少し奇妙だが、画の切り取り方にねじれがあり、主人公に映画作家を据えることでメタシネマを匂わせながら、まったくの虚構で作りに作った、しかしロメールのように巧妙に脚本を練るよりは即興に見える会話で物語を生み出す、というタイプだ。

つまり、抜群におもしろい。

1つの時間軸に対して微妙な会話の差異から2つの異なる物語を作るという奇妙な映画だった。

地方の映画祭に呼ばれた芸術系映画作家だが、手違いから1日早くつく。この男は女好きで、観光名所でナンパした女性(画家の卵)をどうにかしてものにしたい。しかし何も起こすことはならず、翌日、映画祭が終わってソウルへ帰る。

この筋書きから2通りの物語、「あのときは正しく、今は間違い」と「あのときは間違い、今は正しい」が順番に映写される。

最初、名所の寺院に画家の卵が入っていくところを、名所の入り口に立っている作家が眺めるところから始まる(とは言え、初回ではそこは重要と思わなかったので見逃しているし、もしかするとそもそも映していないかも)。初回は、ホテルの窓から眺める。小柄な女性。背は低いがかわいいが危ない危ないというモノローグ、彼女は映画祭のアシスタントらしいがすでに映画産業に関わっているようにも見える。橇場(日本にはなさそうな気がするが、アイスリンクで橇を走らせるもので、屋外にアイスリンクがあるのだから、無茶苦茶寒そうな場所だし、寒い場所というのは2回目では強調されることになる)で二人で遊ぶ。別れたあと、時間を大切に、と名所に入る。勉強堂のようなところで休み、戻ると、きれいな女性がミルクを飲んでいるのに気づく。ぎこちない会話のあと、コーピーコーピー言いながら寺院の前の喫茶店に入る。喫茶店の存在は、最初のシーンで言及されている。彼女のほうは棗の茶を飲む。オーガニック好き。モデルの仕事をやめて画家になろうとしていて、毎日絵を書く訓練を自分に課していると語る。

彼女の絵を見ることになる。

キュービズムから具象を排した絵。構図は悪くない。に、茶色か橙のつまり暖色の帯を描き込む。

批評を求められて、デリケートなあり方について述べる。

2回目は、窓の外を眺めるのではなく、窓の外から作家を移す。小柄な女性は出てこない。

喫茶店で、画家は、禁煙し、禁酒し、コーヒーも飲まないことを告げる。

画は見せない。筆にパレットからペパーミントグリーンか、寒色を付ける。

批評を求められて、欠損について指摘する。しつこく言い方を変えながら、つまらない作品だと指摘する。

彼女落ち込みまくる。

重要なタイミングとしては、画の批評と、寿司屋で彼女が友人がいないと言い出すところかな。しかし、特にどの1点ということはなさそうだ。どこからどこまでが、片方にだけ台詞を指定して片方にアドリブさせているのか、それとも実はガチガチに台詞が決まっていてタイミングも指示しているのか、まったくわからない。観客は与えられた世界を眺めるだけなのだから、それで良いのだ。でも、裸踊りが始まるところは、役者のアドリブのような気がする。

というように、微妙に変えて気分の悪い終わり方と、それほど気分が悪くない終わり方に分かれる。

画面から目を離す隙がないので、退屈一切なしの映画を味わえた。

あと2本、どうしようかな?(友人はこの作品以外はすべて観ているのでもう誘ってはくれない) 今観ないと一生観られない気もするが。


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