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日々の破片

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2017-04-16

_ Visual Studio 2017でclangをコンソールで利用する

VS2015のときは、c2.dll問題とかあってもなんとなくクリアできていたのだが(clangはx86用だということさえわかれば、あとは適切なほうのclang.exeのPATHを設定する)、VS2017では常に失敗するようになった。

-vを付けてやり直せと出てきたので、やってみると、link.exeの起動に失敗している。

おや? と思ってVS2015のclangで見てみると、こちらはlink.exeをフルパスで起動している。ふつうに考えてみれば、MSがclangをコマンドラインで利用できないように一工夫したようだ。本気か?

で、解決策として、clang.exeと同じディレクトリにlink.exeを入れるとか考えてみたが、ばかげている。

であれば、しょうがない。

MSBuildの出番である。

とはいえ、なんかいろいろあるので、AppWizardにコンソールアプリケーションをclang指定で作らせたvcxprojから余分なものを削除することにした。

<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<Project DefaultTargets="Build" ToolsVersion="15.0" xmlns="http://schemas.microsoft.com/developer/msbuild/2003">
  <ItemGroup Label="ProjectConfigurations">
    <ProjectConfiguration Include="Release|Win32">
      <Configuration>Release</Configuration>
      <Platform>Win32</Platform>
    </ProjectConfiguration>
    <ProjectConfiguration Include="Release|x64">
      <Configuration>Release</Configuration>
      <Platform>x64</Platform>
    </ProjectConfiguration>
  </ItemGroup>
  <PropertyGroup>
    <VCProjectVersion>15.0</VCProjectVersion>
    <WindowsTargetPlatformVersion>10.0.15063.0</WindowsTargetPlatformVersion>
    <ConfigurationType>Application</ConfigurationType>
    <UseDebugLibraries>false</UseDebugLibraries>
    <PlatformToolset>v141_clang_c2</PlatformToolset>
    <CharacterSet>Unicode</CharacterSet>
    <Configuration>Release</Configuration>
    <Platform>Win32</Platform>
  </PropertyGroup>
  <Import Project="$(VCTargetsPath)\Microsoft.Cpp.Default.props" />
  <Import Project="$(VCTargetsPath)\Microsoft.Cpp.props" />
  <Import Project="$(VCTargetsPath)\Microsoft.Cpp.targets" />
  <ItemDefinitionGroup>
    <Link>
      <SubSystem>Console</SubSystem>
    </Link>
  </ItemDefinitionGroup>
  <ItemGroup>
    <ClCompile Include="$(src)" />
  </ItemGroup>
</Project>

Developer Command Promptを使って

MSBuild /p:src=ソースファイル名

で実行する(1ファイル専用)。実行ファイル名はvcxprojの名前になる。

x64の場合は

MSBuild /p:src=ソースファイル名 /p:Platform=x64

Releaseディレクトリに生成されてしまうのが気にくわないが、これ以上調べる気にはならないので、こんなものだな。

clangを使っているかclを使っているかを確認するには、可変長配列を書けばわかる。

char a[strlen(argv[0]) + strlen(argv[1]) + 1];
strcat(strcpy(a, argv[0]), argv[1]));
燃えよウータン(期間生産限定盤)(ウータン・クラン)

2017-04-09

_ 新国立劇場のオテロ

新国立劇場でオテロ。多分、観るのは3回めになる水の都と二重写しのキプロス演出。

冒頭、すさまじいオーケストラの音量と速度で度肝を抜かれる。が、そのあとの合唱が小さい。

あまりのオーケストラの迫力にすごい指揮(パオロカリニャーニ)だなぁと思いながら聴いていたが、どうも違うんじゃないか? とクレドのときに気づく。

イヤーゴのウラジミールストヤノフは、立ち居振る舞いは断然かっこいいし、声も良い、強烈な陰謀家らしい良いイヤーゴなのに、なぜかクレドがあまり聴き取れない。歌い終わったあとのポーズもかっこいいのだが。

舞台下のオーケストラと舞台上の声のバランスが取れていないのじゃないか? という気がしてくる。

花道のような仕組みで、左側を凱旋してきたり、イヤーゴとオテロが舞台に入ってきたりするのは今回初めて知った(前は4階から見ていたのかもしれないが、今回は3階奥で舞台がよく見える)。

幕間終わった3幕から、音量がえらく変わって、合唱や独唱とのバランスが良くなった。どうも、初日ということもあって、1幕2幕は音量のバランス調整に失敗していたようだ。しかし、今度はいささか小さくなり過ぎて迫力がなくなったような(が、3幕以降はオテロの異常な心理に焦点が当たるから大音量が必要なわけでもなく、これで良いのかも知れない)。

演出をよく見ていると、イヤーゴが塔になんの意味があるのかバケツの水をかぶせたりいろいろしているが、どうも塔を回転させるための合図のようだと気づいたり、なかなかおもしろい。

セレーナフィルノッキアのデズデモーナは、自然に揺れる倍音が多い声で、歌唱法も合わせてフリットリみたいだなと思いながら聴いていたが、ここぞというところで豊かには響かない。声はおもしろい楽器だ。その点でいまひとつ感がある。カーテンコールのときに良く見たら顔や体型もフリットリみたいで、そういうタイプの声顔姿の歌手(=楽器)なんだなぁとか考える。

カルロヴェントレはもう何回観ただろうか。立派な歌手だ。

清水華澄のエミーリアは寸言人をさすエミーリアっぽくて印象的(あまり歌がないのだが、歌うときは常に重要な妙な役回りだ)で、カッシオの与儀巧は良いカッシオだった。カッシオは軽薄才子っぽいわりには、ロデリーゴ返り討ちとか実は腕もたつ(か、ロデリーゴは本当に無能なのかどちらかだ)、良きローマ人の若大将の典型みたいな印象なのだが、いかにもそういう声と振る舞い。3幕で呼ばれて登場してくるところとかなかなかかっこよい。演出はイヤーゴに顕著だが、個々の歌手に大見得を切らさせることを重視したかのようだ。

ふと気づいたが、オテロがベネツィアに召喚されるというのは実際にそう指令書に書かれていたのではなく、デズデモーナとカッシオの動揺をチェックするためにオテロが考えた即興なのではなかろうか。

1幕の音量はともかくとしてテンポの良さはずっと持続して気分良い舞台だった。

カーテンコールでは、指揮者と合唱指揮者が手をつなぐ。なんとなく、この形になるのは好きだ。


2017-04-08

_ 昭和完全終了。男と夫と雄が消えた

ずいぶん前になるが、妻がお掃除ロボットに惹かれてちゃおを買ってきた。

で、本体の雑誌のほうがテーブルの上に置いてあったので何気なく手にとって読むと、読むところがない。ずいぶん前に今の少女マンガの世界は一昔前のレディースコミック水準というのを聞いていたが、さすがにちゃおのターゲット読者だとそこまではないんだなぁとか、その程度の感想で、目はやたらとでかい昔風のマンガばっかりだ。

で、必然的に文字のほうに目が行く。

すると、延々と細かな字が並んでいるページ群が目についた。で、なんだろうと思って老眼鏡に変えて(というと嘘だが、そういう感覚)読んでみたら、1000人名前占いというページだった。

1000人分の名前に短評というか占いが出ているので、細かい字が延々と並んでいるのだった。

先頭は

あーす

要領バツグン。恋はガマンが苦手

くはー、「あーす」だよ「あーす」。白髪で髭が長くて杖持って火山島の中で人造人間の開発研究している科学者の名前だぜとか吹き出しながら順番に眺めていくうちに、いや、これはガチだ、と気づいた。

マグマ大使 (第1巻) (SUNDAY COMICS―大長編SFコミックス)(手塚 治虫)

少なくとも、編集部が持つ人名リストには「あーす」は存在しているのだ。

が、おれの名前はない。

妻の名前(平凡な「子」で終わる名前)はある。

子供の名前もある(DQNネームをつけた覚えはないが、AV女優に結構多い名前のようで実はびびっている)。

子供の(おれが知っている)同級生たちの名前も一人を除いて男女問わずある。

無いのは「くにお」くんだ。

1000人すみからすみまで調べてしまった。

「お」で終わる名前で男の名前と考えられるのは唯一

みねお

マイペース。恋する気持ちが伝わりにくい

だけだ。

「お」で終わる名前は1000個の名前(男女問わずだが)の中で1つだけだった。

というわけで、おれにとっては、明確に昭和の名残が切れた世代によって時代が作られていることが可視化されていて、ちょっと衝撃だった。

現在のちゃおのターゲット読者となる子供に命名した親の世代は「お」を排することを選択したのであり、「お」というのは「男」や「夫」や「雄」だ。

と考えると、なんか、とても良い時代になったような気がする。

いいね。

ちゃお 2017年 04 月号 [雑誌]


2017-03-27

_ キリストはエボリで止まった読了

立ち寄った本屋で何気なく手にしておもしろそうだから購入したカルロレーヴェのキリストはエボリで止まったを読了。

通勤時にぽつりぽつりと読んでいたら3ヶ月近くかかってしまった。

が、さまざまな点から実におもしろかった。

ノンフィクイションノベルだ。筆者が反ファシズム罪によって南イタリアに流刑にされた1930年代の流刑地での見聞を小説としてまとめたものだ。登場人物を類型化しているが故に、明らかにモデルとなったことがわかる実在の人物(たとえば村長)の遺族からは嫌がられているという面もあるようだが、文学をもとにした地域振興(観光地化)のネタにもされているらしい。

まず、反ファシズム罪という罪に驚く。すげぇな。

で、それが流刑だというところにも驚く。殺すか殺されるかではない点だ(とはいえ、運動の中心人物は暗殺されているから、程度問題だ)。

でも翻って考えると、寒村自伝を読むと尾行がついてまわったり予防拘禁されたりはしても、荒畑寒村(だけではなく、宮本顕治にしろ戸田甚一にしても)は普通に戦中を生き延びているし、殺されているのは小林多喜二のような大衆へ影響を与えることができる作家であるとか、山宣のような科学者だから、言論人は生かしておけば世の中が変わったときに社会への保険になるというような考えは共通であるのかもしれない(というか、それが無いのがスターリンやポルポトだった。毛沢東ですら鄧小平は生かしているわけだし)。

というような時代なので、当然、村長は良きファシスト、子どもたちは良きファシスト、で、そこがまずおもしろい。われわれのような良きファシストは……みたいな言葉がふつうに飛び出てくるのだった。

でも、レーヴェが書きたかったことは反ファシストの話ではない。

南イタリアが全然、自分が知っている、暮らしているイタリアでは無いということなのだ。

つまり、ローマ化されていず、キリストですらエボリで止まって、当地までは布教に来なかった、未開野蛮の地、そういう意味だ。

たとえていえば、弘法大師は平泉で止まった(と岩手人が自嘲する)という感覚のタイトルであり、そういう風俗がこれでもかこれでもかと描写される。

延々と続く粘土質の大地、小麦にはまったく向かないにもかかわらずファシスト党の政策により小麦栽培化されたため、常に収穫は少なく、アメリカ移民だけが救いなのだが、それも情勢変化によって無理となり、出ていったものは帰ってこず、帰ったものは朽ち果てていき、みんなマラリアにかかって黄色い顔をして、葬式では泣き女が一晩中泣きながら踊り狂い、独り身の男の世話は村の魔女の役回りで、魔女はたくさんの子供を持ち、どこか遠くのエチオピアで戦争があってもなんの恩恵もなく、ローマから忘れられてときがすぎる(が、税徴収員は仕事に来る)。

それが1930年代だ。いや、イタリアと日本はどうも風俗習慣が似ている。南北は逆転しているが。

彼我の差が大きいのは、山賊伝説で、南イタリアではどうにも中央政府の横暴が極端になると、山賊が生まれて反逆を始めるらしい。最近(と1930年代に書く)はガリバルディの頃で、伝説的な山賊大将がハプスブルクの遺臣と共同戦線を組んで中央相手に大活躍する(が、最後には山賊は必ず滅ぼされる)。しかしそれも困民党のような事例がないわけでもないし、時代的には幕末の天狗党や烏組、赤報隊などを彷彿させるところもある。にしても山賊伝説はめっぽうおもしろい。なんか黄巾賊とか李自成みたいでもある。

というわけであらゆる点がおもしろい。

政治の話も少しある。

村長の親戚の無能な(というよりも19世紀の知識のみの)老医者と、反村長派の学問したことさえなさそうな無知蒙昧でさらにひどい老医者と、最新の医療知識を学んだレーヴェの3者に対する農民の態度(当然、レーヴェに診療して欲しがる)、に対して最初は良いことだと考えていた村長が、反村長派の医者とのバトルに優位に立つために、流刑中の診療行為の禁止をたてにとって親戚の老医者推し、それを拒否する農民たち、手遅れでばたばた死ぬ患者たち、蚊を撲滅するためのプランをレーヴェが出せば握りつぶされと、これまためっぽうおもしろい。

キリストはエボリで止まった (岩波文庫)(カルロ・レーヴィ/竹山 博英)

マラリアと反キリスト的な風俗(特に魔女とか)、貧困、借金まみれの農家という点から、ヴェルガの短編集を思い浮かべた。

こちらは19世紀末のシチリアが舞台で、純粋に創作ではあるが、それが40年近くたち、革命と民主化とファシズム化を経ても全然変わらないところに、なるほど、キリストはエボリで止まったのだなと納得してしまった。

カヴァレリーア・ルスティカーナ―他11篇 (岩波文庫)(G.ヴェルガ/河島 英昭)


2017-03-26

_ 牯嶺街少年殺人事件

今を去ること25年前、友人にエドワードヤンを観に行こうと誘われて、新宿の地下の映画館に行ってすさまじい衝撃を受けた。

まず、長い。3時間30分だ。休憩なしの3時間30分といえば、ワーグナーのラインの黄金で、そんなに長い時間、退屈しないで済むのは不可能なことだ。

が、違った。全編映画そのもので、まったく目が離せない。次に何が起きるかまったくわからない。いや、題名を見ているから知っている。主人公の中学生(15歳くらい)は、少女(14歳くらい)を殺すのだ。

その殺人が起きるところまで、絶え間ない緊張感がある。

が、それはリラックスした緊張感でもある。だいたい、張り詰めた気持ちでいたら3時間30分ももつはずがない。ユーモラスであったり、同情したり、楽しそうだったり、うらやましそうだったり、恐ろしかったりしながら、着実に時は過ぎて、少年は少女を殺す。

びっくりした。

こんな映画が作れるなんて。

何に一番近いかと聞かれれば、2017年の今なら簡単に答えられる。この世界の片隅に、だ。

最後の瞬間に何が起きるかはわかっている。その時点へ向かって着実に物語は進む。まったくゆるむことなく。しかしリラックスした緊張感である。ユーモラスであったり、同情したり、楽しそうだったり、うらやましそうだったり、恐ろしかったりしながら、着実に時は過ぎて、風が吹く。

しかし、牯嶺街少年殺人事件は実写の映画で、光と影が現実のもので、役者はほとんど素人の少年少女だ。

それからしばらくして、完全版というのがやってきた。3時間30分というのは、見やすくするためか、または映画館が入れ替えをやりやすくするために削った版だったのだ。

4時間版で印象的なのは、酔っぱらって千鳥足で歩いている近所のイヤミな食料品店の親父がドブに落ちたのを、主人公が助けるシーンで、悲劇に突き進んでいるにもかかわらず、家族にささやかな幸福が訪れつつあるところだ。

3時間半であろうが、4時間であろうが、こんな映画はほかにはない。

ベルトルッチの1900年ですら、牯嶺街少年殺人事件に比べれば退屈で死にそうだ。(実際問題、叔父さんのところでドミニクサンダが傍若無人に振舞うところとか退屈極まりない)

それが25年ぶりに公開だというので、武蔵野館へ行ってきた。

妻は途中トイレへ立つことも辞さずの構えだ。おれもまあそうだ。

しかし、そんなことは起きない。4時間なんてあっという間だ。

それにしてもすげぇ。個々の映像はかっちり覚えているのに物語はさっぱり忘れていた。忘れていたのに思い出すから、観れば観るほど細部が理解できる。

主人公はいきなり国語が50点だったせいで昼間部は落ちて夜間部へ通うことになる。親父はモンペっぽい(この設定は生きてくる)。モンペというよりも、固い男なのだ。

モノの映画だと気づく。すべてのモノに存在感と物語がある。

学校の隣のスタジオから盗んだ懐中電灯(最後に、馬小をスタジオで待っているときに、机の上に置いて来る)。常に一緒にある。

買われることがない眼鏡。

馬小が屋根裏で見つけた日本軍の将校の日本刀。最後警察に没収される。

同じく馬小のオープンリールテープレコーダー。小猫王が吹き込んだテープはプレスリーのもとへ送られて、記念品の指輪になり、それを報告するテープは刑務所でゴミ箱へ捨てられる。

上海から持ち込んだラジオは、小猫王がレコードプレーヤーの部品取りのために分解されて再構成される。その後は微妙な角度を付けないと鳴らなくなる。そのラジオを見て思わずまだ使っていたのかと唸る汪。

目が良く見えないと、パチパチ電気を付けたり消したりする小四。最初は学校、次は家。

バスケのエースの小虎。最初は小明と。最後は対外試合で不調(前夜に何があったんだっけ?)。

呼出しを食らって拉致される小四。小四が教師から自分をかばってくれたことに気付いた馬小が1人で近寄って来る(この姿に近い構図を後でハニーがやるが、後ろ盾が無いハニーと異なり、馬小はその場で相手を退散できる)。あとから椅子を壊した武器を手に小猫王と飛機が駆けつける。

馬小の日本刀を見てまねして屋根裏で小猫王が見つける懐刀。小四は場所を知っているので留守のうちに持ち出し、馬小ではなく小明を刺す。

医者のテンガロンハット(ではない)。

仮性近視の治療薬としての注射(ビタミン注射かな)。

母親が持つ夏先生からもらった腕時計。

ビリヤード。老二は汪のパーティーで勝負を真剣に見ている。落ちた玉を投げて見事にホールへ落とす。葉っぱに連れられて山東のビリヤード場で勝負に出る。最後は300元勝つが、張雲に告げ口されて死ぬほど折檻される。

極端に大きな帽子、あまりに裾広がりのセーラーのズボンのハニーが、アップだと実に美青年で驚く。

国歌が最初に流れて全員その場に起立しているところに悠然の歩いて来る。

最初、滑頭が拉致されたのは小明が原因ということは、最後のスーツ姿でカタギになったときに明かされる。

母親の喘息がひどくなり住み込み先から家政婦を解任されて、伯父の家で暮らす小明。薄暗く、人がたくさんいて、生活のレベルは明らかに低い。

外省人の将校の子供の馬小。

外省人の役人の子供の小四。

おそらく本省人の商家の子供らしい小猫王(小四は、おそらく夜間学校へ入学したことで、本来の階層的なあり方とは異なる集団に属することになっているのだろう)。後に小四から紹介された(小四自身はハニーから紹介されたようだ)本省人のヤクザの馬來(だと思うが忘れた)のことを良い人だとか評していた。

に続いて、外省人のただの軍人の親戚らしい小明の家庭生活が描かれる。

滑頭の一方的なカンニングのせいで小四まで巻き添えを食らうことになり、再び父親が怒鳴り込む。かえってまずいことになる。そこで父親は謝りながら、正しくあることは正しいのだと説明する。未来を信じて努力するのだ。

小明との関係の微妙さをなんとなく知った小四が医者に反抗的な態度を取る。看護婦が一方的にまくしたて、それに対して乱暴なセリフを吐く。呼び出された父親が許しを乞うと教師が居丈高になる。一方的であり理不尽であり、小四はバットを振るい退学になる。

逆の立場となり、小四が前回父親から聞かされたことを言う。その間に、特務からの取り調べを受けた父親は権力の怖さを知ってしまったために、口を濁す。

話は続き、小四は図書館へ通って勉強をする。

自転車を押す小四を見かけた小明が近寄ってきて、二人で馬小の家へ行く。お手伝いさんが必要だという話を馬小の母親がする。

最後の晩にはあらゆることがおきる。母親は父親が公務員としてはもう目が無い可能性を考え、林のパーティへ父親を連れて行く。小四は母親の時計を質に入れて小翠をデートに誘う。小翠は小四の下心を見透かして嘲笑する。老二は時計を回収するためにビリヤード場へ行く。汪が来る。汪は(机の横流しを拒まれたにもかかわらず)実際には父親をどう考えているのだろう。

小四は翌日、姉から誘われた教会での対話をすっ飛ばしてスタジオで馬小を待つ。馬小は日本刀を持ち込んだのを見咎められて来られない。予定を変更して小明を待つ。懐刀がなんどもなんどもズボンから落ちる。

何も変えることはできない。

馬小の母親が警察に権力を振りかざしてどうにかしようとする。それを眺めて、そういうことではなく、自分と付き合っていた小四のことを思い泣き出す馬小(住む世界が異なるということはそういうことなのだ)。

細かなエピソードが積りに積もり、まったく弛緩することなく4時間が過ぎる。

なんてすごい作家なんだろう。

A Brighter Summer Day (The Criterion Collection) [Blu-ray](Edward Yang)

(リージョンAだ)


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