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ユーロスペースでペドロコスタの血。初見(ヴァンダの部屋から観たわけだ)。
いきなりおっさんが若者をひっぱたくシーンから始まり度肝を抜かれる。ニノにはなんといえば? 死んだと言えば良い。
オート三輪。
子供がベッドで寝ている。裸になる。
ニノとフランチェスカがいない、とクララとヴィンツェントが探しに行く。川べり。
なんだかわっぱりわからん。
どうもヴィンツェントとニノが兄弟(ニノは後に10歳と語る)で、クララとフランチェスカが姉妹らしい(が、違うかも)。ヴィンツェントとクララは幼馴染かな。ヴィンツェントの父親は病気なので頻繁にリスボンへ行く。金が出ていく。
父親は死にかける。ヴィンツェントは薬局を襲撃する。
父親を埋葬するために、クララへ助けを求める。君しか頼る人はいないんだ。
墓地で花立を倒して割ってしまう。暗くて埋められない。場所を変える。途中でヴィンツェントはいなくなる。
ヴィンツェントとクララはクララのほうが迫るがヴィンツェントは乗らない。
ニノはヴィンツェントと自分が兄弟なのに似ていないと言う。セーターを貸してくれ。
クリスマスツリーを刈りにきたヴィンツェントの前に男が二人あらわれる。親父はどこに行った? 金を返せ。二人はヴィンツェントから斧を取り上げてもみの木を切って渡す。
窓から帰りを待つニノの顔。家の前には夫婦もの。奇妙なディープフォーカス。
樅の木を手にヴィンツェントが帰る。
叔父が父親の場所を聞くがヴィンツェントは答えない。叔父はニノを引き取るといって強引に連れ出そうとする。ヴィンツェントは鈍器で叔父を殴り倒す。捨て台詞を吐いて叔父は帰る。
夜、ニノが寝たあとクララとヴィンツェントの距離が近まる。
突然画面が明るくなりクララ。川のほうのパーティー会場のような場所に二人は降りていく。足元。
川に浮かぶ死体をそれを引き寄せる船の上の男。
家に叔父が忍び込み寝入っているニノを誘拐する。
叔父の家には子供がいる。目が見えない? 最初に一緒にいた女性は家政婦なのかな。
水族館。ウミガメを子供に見せようとニノが塀に乗せる。叔父が引き戻す。ニノは叔父になつかない。3人だけの食事風景。
ヴィンツェントが迎えに来るから待つとニノはいう。あいつは関係ないと叔父はいう。どうも叔父は本当の父親なのだろう。叔父の役者はオリヴィエラで良く見かける顔だ。
ヴィンツェントを借金取りが誘拐し監禁する。かって父親に惚れていたらしい昔のミスポルトガルがヴィンツェントを助け出す。
花火大会。マンションのベランダに人々が出ている。ヴィンツェントとミスポルトガル。
突然画面が明るくなり、楫を取るニノ。
おもしろい!
終わったらたくさん人が出てきて驚いた。最近見た映画の中でここまで満員近い客入りのはなかった。しかも年齢層が若い。どこかでペドロコスタが再評価されまくったのかな。
有楽町の丸の内ピカデリー(iMAXではないがドルビーAMO)でメガロポリス。
20:20からの回とあって客は1回のエレベータで全員帰れる量。
前評判どおり(アメリカでだめなのはおもしろいの法則)実におもしろかった。
物語は3つの柱から構成されている。
1つはカエサル(主人公、造営局の局長(このあたり、ローマの政治的出世コースと合わせているのがおもしろい))とクラッスス(銀行家。ローマ史でもカエサルのパトロンで三頭政治の1人なので合わせている)の都市計画進歩派対キケロ(市長、ローマ史ではカエサルについたり敵対したりと忙しいが、確かに守旧派の代表とは言える)の対立で、キケロの娘のユリアとカエサルの恋愛、出産、カエサルとキケロの和解(カエサルの作った動く歩道に先に乗ることで夫とカエサルの仲をとりもつのがキケロの妻。ユリアと合わせて常に女性主導なのがおもしろい)によるハッピーエンド。
このハッピーエンドではカエサルとユリアがこの幸福な瞬間を停止させると、二人の子供が動き出して次世代として未来を作り始めるのだが、先へ進む子供といえばカラックス(アダムドライバー繋がりがある)のIt's not meのラストを彷彿させる。
2つめはカエサルが都市計画の発表会で引用するようにハムレットによる夫殺しと息子への迫害。当然のようにカエサルがハムレットなのだが、叔父クラウディウスはなぜか従兄(クラッススの息子)ということになっていて、兄殺しは父殺しに転化する。ガートルードに当たるのがカエサルの元恋人であり圧倒的な人気を誇る(ただし最近陰りがある)ニュースキャスターのワオで、ワオはカエサルに結婚を断られることでクラッススに乗り換えるのだが、銀行を乗っ取ることですべてを支配しようとする。三頭政治といえば残るポンペイウス(最後は反カエサルに鞍替えして、子供と妻がエジプトで態勢を立て直そうとするもののクレオパトラ(は蚊帳の外)の弟と側近に殺されることになる)だが、ポンペイウスとクレオパトラとポンペイウスの妻の役回りかも知れない。
(ワオがユリアにカエサルは渡さないと迫るシーンがあるのだが、おそらくこの件については公開版作成時に尺を縮めるためにカットしたエピソードがあるに違いない。同様にいくつか物語の構成要素でカットされているものがあるはず)
ワオについては、映画の中で造営局長のカエサル、銀行家のクラッスス、メディア女王のワオの3頭政治のような説明が流れる。市長のキケロは基本的に大衆の前ではブーの対象となる(ローマでも民会は貴族派閥の代表者になっているキケロは相当ブーを浴びせられている)。ここでも立ち位置が異常なのがクラウディアスで一時的には(デマとフェイク、空約束で)大衆を味方につけてカエサル追い落としに半ば成功している。
ハムレットパートでは物語がローマではなくイングランド(さすがにスェーデンまで出してくると散漫過ぎると思ったのかなぁ)となるためか、最後、死にかけたクラッススはロビンフッドに扮し、ボウガンを使うことになる。ここは衝撃的。
ここまでで、カエサルの父親不在が大きな疑問となる。母親も実に影が薄い。最後間際にはカエサルファミリー(キケロとはまだ和解していない状態)が雛壇にいるのに客に紛れている。カエサルは呼ばずにただ最後に母さんと呟く。物語の仕組みとしてはクラッススが実際の父親と見れば良いのかも知れない。
3つ目が芸術家としてのカエサル(=ハムレット)の苦悩ということになる。彼は瞬間を切り取る能力を持っている。超高層ビルからの落下の瞬間、巨大建造物崩落の瞬間などを切り取る。それが当然のように「美」なのだが、他の人たちはまったくその「美」の存在に気付かない。ただ、ユリアだけはその瞬間を目撃する。このことがユリアとカエサルを結び付けることとなる。
映像はなぜか3面となる箇所は小うるさいしそれほど気が利いているとも思わなかったが、実に美しい。コッポラは美しい絵が好きなのだ。
カエサル暗殺は実の息子のブルータスに刃を向けられて観念するのに少し近い。カエサルが愛する未来の象徴に撃たれる。半分吹っ飛んだ顔面をカエサルが発明した新物質(透明でありものごとを映し出し繊維ともなり建造物にも利用できる)を使って修理する。それによって生まれる神々しさによって敵をひれ伏させる。
最後ほぼコッポラの遺言のような文章が映し出され、教育と美を未来の世代に与え続けることに対する希望を述べる。次世代への教育というのも1つのモチーフとなっていて、ユリアにカエサルが体験させる新都市のモデルは教育の場でもある。
遺言に続いて、コッポラの妻への謝辞が映し出される(ここも最後に撮影監督への謝辞が映し出されるIt’ not meを彷彿させる)。やはり愛の物語だったのだな、と納得する。
このほか、ほぼ語られない死別した妻とカエサルのエピソードが紛れる。彼女との生活は思い出としてスラム(らしい)の一室に残されていて、そこをカエサルは秘密裡に訪れる(のをユリアは尾行して垣間見る)。妻はカエサルの美の追求についていけずに薬に溺れて胎児もろとも河に車で突っ込んだらしい。カエサルは同じ美を共有するユリアに出会ってからは徐々にその呪縛から逃れる(ここも長いカットされたエピソードがありそうでもある)。
実におもしろかったし、映画館で観ることができて幸いだった。
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