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日々の破片

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2012-08-28

_ 脳みそフィードバック

たまたま、今日は遅い出社なんで家をうろうろ徘徊していたら、妻がNHKの朝の奥様番組を見ていた。

どこか日本の大学だと思うが研究者と学生が出てきて、空間把握能力について説明してる。平面の地図を眺めて、位置関係を考えていると、側頭の名前はさっそく忘れたがどこかしらかに熱反応(だと思うのだが、おそらくサーモグラフィを見せているのだと思う)がある。

さて、空間把握能力が劣る人ってのは、ここを使わないんですよね、と説明が入り、局アナでもぴかいちに地図を読めない女性を測定する。と、確かに、地図を見せて考えさせても脳みそは青ざめたままである。

で、窓ふきを角を基点として現在どこを拭いているのかを意識させながら行わせると、そのあたりに反応があり、つまりは、この訓練をすることで空間把握能力が向上するんですよ、みたいな説明が続く。

これはおもしろかった。

もしも、個々の人間の脳みその能力にそれほど差がないとすれば、頭の良し悪しというのは、脳みその使い方の問題と仮定できる。正しく使える人間は賢く、そうでない人間は愚かだ。当然だ。

その場合、うまく使う人とそうでない人では、使っている場所に差があるはずだ。それを視覚(ではなくても良いのだが、サーモグラフィを前提とすると当然視覚となる)によってフィードバックさせることで、自分の頭の使い方を補正していくことができるのではないだろうか。(スポーツとかで、上級者の素振りを真似させるようなものだ)

もし、それが可能ならば、頭を使うというのは、肉体フィードバックによって訓練可能な問題となり、つまりはスポーツの一種となる。

スポーツの一種となれば、努力、根性、友情の世界、つまりは子供にとってのマンガの領域だし、ゲームとなる。

つまり、今の頭の使い方というのは、逆に根性の世界だということだ。とにかく計算しまくったり、知識を覚え込んだりしているうちに、賢い頭の使い方を身につけることができるかどうか、で、そこには人類の経験から判明している勉強という修行によって養う(合理性に欠けた)根性の世界がある。

そうではなく、肉体(この場合は脳みそ)の正しい使い方を先に身につけてから、学習をすることで、より高速かつ効果的に賢さを追求できるのではなかろうか。

もし、それが可能ならば、教育の在り方もえらく変わることになり、おもしろい。

_ ユウレカ

おれは今気付いたが、「いくらなんでも」と書くべきところで「何が何でも」と書いたり言ったりしている。


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