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日々の破片

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2018-10-28

_ 京都観光

朝起きてホテルで朝食とってから十条の駅へ行き(ここのアクセスは良かった)昨日のガイドからのアドバイスに従って1日乗車券を買い、烏丸線で四条へ行く。

四条通は銀座か日本橋かという感じで大銀行と高級店が並ぶ。

大丸のところにイノダコーヒーがあるのを見て妻が、「ここの本店に行くのも目的だよ」と言う。なんでも高校の修学旅行の時に行きたかったのに時間がなくて行けなかったらしい。

道々、なんか歌っているので聞いていると「京の四条の橋の上、牛若丸と弁慶が、」とか言っているので、それは五条だと教える。あとで五条にも行くことになる。

途中簪屋がある前を通ると、確かここで母親へのお土産の櫛を買ったとか言い出す。おれの京都への修学旅行は中学のときだったから、そんなに自由時間はなく、まったく街を散策した記憶がないので、なんか羨ましい。

橋のたもとの細い道に看板が立っているので眺めていると妻が、ここは行くべし、と言い出してどんどこ入って行く。先斗町だがポントちょうと読むらしい。ポルトガル語のポントか英語のポイントから来たらしいとか書いてある。ポルトガル語は知らないが同じラテン語圏のフランス語のポン(ポンヌフのポン)だとすると橋のたもとだからかな? とか考えながらうろうろするまでもない細い道(往時の円山町みたい)なのでどんどこ進んで三条まで行き、今度は河原を歩いて四条橋へ戻る。どっちが表で裏かわからないが、両側から見たことになる。やたらと長い簾や雨戸がおもしろい。テーブルをはさんで足持たせが無い安楽椅子の向かい合わせという古い旅荘スタイルのテラスがある店が何軒かって、空間効率が良くない造りだから結構価格は張ったのだろうなぁとか考える。

途中妻が鴨川踊りの練習場を写真に撮っている。きれいな建物だがそこまでか? と不思議に思う。

四条橋を渡って南座の脇で、阿国が歌舞伎をやった場所と書いてあって、へーと思う。

八坂神社に入ると蛭子神社の前でアジア系観光客の大撮影大会が行われていて、なんで蛭子さんなんだ? と不思議に思う。

次が大国神社で、はて本殿は誰を祀っているのか不思議に思うまでもなく、親父のほうだった。なるほど、そういう仕組みだったのか。

右手から出て坂道を下っていく。

ふと見るといくつかの家の屋根の上に鍾馗がいる。髭と刀だから鍾馗なのは間違いないが、もしかすると七福神の混乱に乗じた毘沙門天かもと思って眺めていると、妻が、これなんだろう? 鴨川踊りにも居たんだけどと写真を見せる。

鍾馗(または毘沙門天の異動)だと思うけど、と言いながら調べると、そういう風習が京都の町家にはあるとあって、ちょっとおもしろい。

橋へ向かって右へ曲がり、祇園の街並み保存したなんちゃらのほうに自動的に入り込む(なんか細い道をどんどこ選んでいたらそうなった)。入口の家の前には高杉晋作がどうたらとか書いてあったが、まあそれはどうでも良いかな。

ここにも、結構な頻度で鍾馗が乗っている。

三条のバスターミナルの手前の店で妻はしんじょうを買っている(後で聞いたら天保年間創業の店らしい)。

橋のほうまで来ると、気持ちの悪い顔をした像が地に這いつくばっている。高山彦九郎だなと思いながら立札を読むと当たりだ。攘夷主義者は這いつくばっていれば良いのだ。

合流して三条通を進み、池田屋と看板が立っている店が右側にあるのを眺めたあたりで左内側へ入った。かに道楽のところで(偶然にも)左に折れたので、さらに錦市場のほうへ進み、観光客っぽくハモの天ぷらとか立ち食いする。

それから妻の念願叶ってイノダコーヒーへ入って、モカケーキとかブラックロックとか食べる。悪くない。

学生時代に読んだ珈琲読本で池坊保子がお勧めしていて夢だったのだそうだ。よかったよかった。

で、このあたりまで来ると特に何もないし(彦九郎ではないので二条城とかまったく拝みたくもない)本能寺でも観てみるかと敵がいるんだよね? とか、はしゃぎながら本能寺へ行く。

かっては豪華絢爛な宿坊を大量に配置したものでどうしたとか書いてあって、そりゃ知らなかった。

まだ時間が多少あるので、三条の駅から烏丸線で橋を見ようと五条で降りる。

五条だがほとんど六条なんだな。適当な縦の線に入って進むとやたらめったらと浄土系の小さな寺がある。

そういえば、石山本願寺を大阪城に改修するにあたって秀吉が周囲の寺を寺町に追い出したと、昨日ガイドが言っていたことを思い出した。

浄土系は、弟子を独立させては本家を取り巻くように配置するのかな? と考える。本丸と出城みたいな関係でおもしろい。そういうふうに領土を固めて一向一揆戦争を戦ったのだろうか。

途中の公園でちょっと休んでいると、唐突に妻が、そういえば京都に来たらイノダコーヒーの他に口から仏像が出てくるやつを見るんだった、と言い出す。

そういえばそうだった。

が、思い出せないので口から仏像で調べると、空也像は六波羅蜜寺で、まさに五条じゃん。まあ、お導きというものだ。

鴨川に着くと、五条の橋は存在せず云々とか書いてあって、弁慶と牛若丸の歌は嘘っぽいな、と話し合う。

で、六波羅蜜寺の宝物殿を観る。

おお、これはすごい。筋肉のうねりこそないが、血管は浮き出て爪まで書き込まれている。というか、隣の清盛も素晴らしい。さらに横の運慶と息子のやつも良い。

作品としてはヘレニズムの頃の人物造形よりもずっと良いし、ミケランジェロとためを張れるじゃん。

ミケランジェロが15世紀で、こっちは12世紀か。

同時代の風潮とかと最初考えたが、そういうわけでもなく、なぜか唐突に人間復興したんだな、

と考えると、清盛が作った武家の世界は、暴力支配だし、暴力のためには人体構造の熟知が必須だから、そこからこういう芸術が生じる道理なのだろう。

それにしても素晴らしい。京都が空襲される前に降伏して良かった。

右手の平安時代からの一木作りの仏像群も良いものだが(一木作りってのはそれだけで見事なものだし)、それよりも壊れただか燃えただかして後から作り直した嵌め木の仏像が、時代が後になっているだけに筋肉の動きが脈打っていて見事だ。

さらにおまけとして、10月いっぱい公開の空也の後を継いだ中信の手による空也の画というのが公開されていたのだが、これが摩訶不思議。像はこの画を元にしたものなのか、構図が似ているのだが(バランスは画のほうが悪い)色こそ茶渋色になっているが、1000年近い年月を経たものとは思えない鮮やかさで字も読める。

なんか猛烈に良いものを観た。

まだ多少時間があったので、清水寺の大混雑の登山口を横目に西大谷へ行ってみたら、こちらは現役の墓所になっていて、それはそれでおもしろいが、さすがに墓所を見るのは遠慮して、しばらく休んでから烏丸通りへ向かう。

途中、六条のほうへ近づくように内側の道をじぐざぐするのだが、やはり細かい寺が多い。大体が応仁の乱で焼けて再興とか書いてある。

それにしても、このあたりの町家には鍾馗がまったく無い。道教の神様は仏教の護法ものではないからかなぁ。

と、いろいろとおもしろかった。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]
_ ムムリク (2018-10-31 20:55)

なんだか奥様がとても楽しそうでうらやましい限りです。「練習場」というのは、甲部歌舞練場でしょうか?(場所が違うかしらん?)

_ arton (2018-11-11 02:50)

ここの先斗町歌舞連場です。 <br>https: //www.kamogawa-odori.com/access/

_ arton (2018-11-11 02:51)

URIは3つまでと書いてあるけど1つも認めない設定にしたのか(記憶にないや)。


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