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日々の破片

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2020-12-21

_ 反三国志というアンチ

FBで知人が反三国志について書いていたので(最近Kindle版として復刊したのだな)思い出したが、翻訳が出てすぐ買って読んでうんざりして、同じく三国志好きな父親(小学5年か6年のころにおもしろい本はないか? と聞いたら吉川英治の三國志を読めといって全10巻を買ってくれたくらいだ)に貸したらなんてつまらん本だといって返してきたのだが、存外アマゾンでの評価は高くておもしろい。

とはいえ、四半世紀前にはゴンタの新釈(曹操が主役なのはともかく董卓がマッチョでかっこよかったり陳宮が見るからに文弱だったり孔明が酒色に溺れるのが大好きな軽いのりのやつだったり、劉備はほら吹きのお調子者、関羽は義理人情大事のやくざそのもの、と新釈なのに史実に近くて(さすがに董卓の外見のかっこよさについてはそれはないと思うが、とはいえ人望と実力がなければあそこまで専横を振るえるわけがないのでその意味では正しいとは思う)おもしろい)三国志があったりしたくらいなので、反三国志の徹底した劉備上げにファンがいるのはちょっと不思議ではある。

蒼天航路(1) (モーニングコミックス)(王欣太)

(悪くないというかこれは良いものだ)

四半世紀の間に世の中が変わったのだろうか? もしそうならとても嫌な予兆ではある。

三国志とは何か?

陳寿の三国志は正史として記述されたものだし、正史といえば董狐之筆で、事実そのものよりもその時点での思想/善悪の観点に忠実に記述するとはいえ、基本無色と考える。すると特に晋を贔屓しているわけでもなく、むしろ蜀漢に同情的なのは陳寿が蜀の官僚だったからという説はあるものの、特に曹操が悪者として正義の劉備と対峙するようには書かれていない。

そうではなく、三国志といえばやはり三国志演義なのだった。

三国志演義が書かれたのは明代で、これが重要だ。演義としておもしろおかしく潤色しているから基本は演義となる。おれが最初に熟読した吉川英治とおそらく吉川英治を種本とした横山光輝は劉備が主人公だ。が、どうしても曹操が魅力的なのだ。なぜか? 曹操は1周回って近代的価値観を持っているからだ。

そこには中国の歴史、法家と需家の対立を読むことができる。

法を厳正に銘文化し、特権的な権力よりも上に法を置き、善悪ではなく有能無能で人間を見極める法家思想は、秦帝国の成立から数100年において中国の治世の基盤、つまり法治主義をもたらした。

その後に、法よりも道徳、能力ではなく身分、厳密な文書による法ではなく事例、血統重視の儒教が取って代わる。こちらは人治、きれいごとな言葉だと徳治である。

歴史を見てみよう。

三国は、それぞれ一応のto beな国家像を持つ。

漢は最初に漢中を治めたときに蕭何が法三章を掲げたように、法治主義が治世の根底にある。それは秦を滅ぼして全土を統一した後にも変わらない。そもそも秦の官僚体制を引き継いだのだから当然だ。ただし、一部の儀礼については劉邦の好みと、大量の(国がばらばらな)国民を統一して扱うために儒教の儀礼を取り入れた(叔孫通による儒教の換骨奪胎による外面儒教なので、後世の儒者からの評価はぼろくそ)。

この秦から漢への易姓革命は、始皇帝が定めた法治が、宦官の専横によって骨抜きとなり恣意的な運用となったことに起因すると見ることができる。というのは、この後も同じパターンが続くからだ。

漢も同じことで、最初は明白に法治主義だったのが、十常侍やそれに対抗するために呼ばれた何進の専横で、がたがたになって自滅する。

その後を引き継ぐ三国が再び法治の確立を目指すのは必然だった。

曹操は典型的な法家だ。法を厳正にし(青年時代に夜間外出禁止を破った高官を叩きのめしているから、最初からそういう指向だ)、徳とか仁とかは完全に無視し、完全な能力主義を取り入れる。とは言え、魏⇒晋の下剋上で貴族(というかその時点での有力豪族)が力を増す。こうなると法治は人治(徳治)に成り下がる。この後さらに異国人支配などが入り込み、法治も徳治もへったくれもなくなる。

孫権も基本は同じ(周りの官僚は漢の生き残りなので当然そうなるが、漢帝国の主要官僚を引き継げた曹操と異なり、しょせん呉の田舎官僚しか集まらないのも問題)なのだが、君主が若すぎるうえに政治基盤が弱いため、地方豪族の人治を排しきれない。しかも孫家が創業(曹操の場合は本人は漢の丞相として自身は創業していないし、そういう戦略を取らせた優秀な法家官僚が回りにいるためそれほど無茶をしない。もっともそれが司馬氏による簒奪を招いたと言えなくもない)ということで以降の世代で無茶苦茶になる。

劉備も当然基本は同じだが、曹操の官僚家系であるとか孫氏の武力であるとかいった創業のための資産が漢の末裔という血統しかないので、そこに物語作者の付け入る隙があるが、それには明を待つ必要がある。

実際のところ当時の学者である孔明が政治面を見ているのでいやおうなく法家型国家を目指す(儒者なら仁を見て許すのが当然だが、法家なので泣いて馬謖を斬るわけだ)。が、なにしろ漢の末裔というのが取り柄なので漢のぐだぐだになり散々いじられた制度の引継ぎが必要となるし、地盤としたのが蜀という劉備にとっては完全な外国のため地方豪族の勢力を温存させなければ国家が成立できず(子飼いの軍隊の少なさで孫権よりも圧倒的に不利)、完全な能力主義を取ることはできない(ここが一番の問題点だったので、あっという間に滅びる)。

で五代六国した後にやっと隋が再統一を果たす。当然、法治で、その象徴が科挙(どこの馬の骨だろうが能力があるやつを選ぶ)だ。とはいえ、楊家の支配も呉と同じパターンに陥りたかだか2代で滅びる。

この後も中国の各国は基本は法家主義で進むのだが、再統一を果たした唐になると再統一を助けた人間の出自がいろいろなこともあって法家と道教と仏教の混淆国家となってしまう。逆に混淆思想のおかげで文化がすさまじく発展する。

唐では特に則天武后という女帝の存在がおもしろい。儒教では女性が男性の上に立つことはあり得ないが、法家の能力主義と道教の万物斉同主義が根底にあらばこそだ。

特に唐では道家が強いため文化のみならず学問も百花斉放する。ここで韓愈が儒教を学として復活させたのが後にとてつもない影響を及ぼすことになるのは痛恨の一撃なのだがこの時点ではまだ問題とはならない。

が、こんな混淆国家では統一王朝を保つのは難しいのは明らかで、事実ぐだぐだした末に分解してしまう。

そして趙氏が宋を創業する。

ここで初めて儒教が国家原理となる。

要はいくら法を定めても長い年月がたつと弱肉強食の貴族主義によってぐだぐだになる(官僚は科挙による能力主義であっても武力は武力で別だからで、その意味では文武分離が本当に望ましいかは怪しい)のを、本気で避けて趙一族で永続支配しようと考えたからだ(文官については法治が正しいと考えていた節があり、科挙は存続させるわけだが、ここで試験問題を孔子と孟子にしてしまうのが将来の禍根となるが、儒教国家なのでしょうがない)。血筋を最重視するのであれば法家の能力主義や道教の万物斉同は都合が悪すぎる。人治のためには徳治あり。

が、思わぬ伏兵で夷狄(金)やモンゴル(元)が攻めて来て宋は滅びる。

元がうまく統治できずに滅びた末に下剋上が再現し最終的に明が成立する。

元が滅びた以上治世のモデルを再度宋に取ったため自然と儒教国家となる(ここでも科挙は存続)。そもそも明の朱家も永続的支配を目論む以上は儒教国家を作るのは必然だった。

ここで文学としての三国志演義が成立するわけだが、国家思想に沿わせるため(沿わせなければ発禁処分やいやなことがたくさん待っているのは明だけに明らかだ)に、「正統」な王朝の末裔の劉備を主人公として儒教国家としての蜀漢(と、その前の漢)というフィクションが入る。

孔明も法家なのに儒者風の不可思議な存在に変わる。ついでに呉の官僚も儒者にされてしまうので、魏呉大戦前には儒者の孔明が儒者の呉の官僚や地方豪族群を儒教にそって論破するというわけのわからない場面となり、作者も困ったのか、孔明の揚げ足取りで論破(そのような考え方では親も子もないことになり、それは孝を否定するケダモノですぞ! というようなセリフはおもしろい)という愉快な場面となる。物語としては実におもしろいが、現実の政治ではあり得ないだろ。

が、市井の知識人である三国志演義の作家は当然のように法家的にものを見ている。また読者庶民にとっては儒教なんてくだらないものはどうでも良く道教的な価値観を持つ。

そこで、主役は儒教国家再建を目指す劉備なのに、魅力があるのは法家思想に忠実な曹操と、ここぞというときに法家の真の姿をあらわして馬謖を斬ったり、無理矢理儒者となって揚げ足取りの弁舌を振るったり、道士として風を呼んだりする孔明という不可思議な物語が成立してしまう。

三国志演義のおもしろさとは、その表面的な国家思想に合わせた儒教的価値観と、実際に展開される現実(法治主義者と読者に沿わせた道教的アナーキーと歴史的な地方豪族による武力競争)描写のアンビバレンツなのであった。

さて、時は中華民国建国後、儒者(孔子と孟子を猛勉強して科挙に受かったのだから当然儒者となる)の官僚周大荒は、法治(20世紀なので西欧的なようだが秦以降の法家思想と考えたほうがおさまりが良い)と北洋軍閥の武力で勢力を増す袁世凱に対して、どうにも文弱な孫文(なんとアメリカ帰りの民主主義者というわけで、ここで中国史上初めて民主主義が出てくる)と儒者官僚群の勢力争いを見るに見かねて一冊の奇書を世に問う。

儒者が望む歴史を描いた反三国志だ。当然、儒教が勝つのだから、儒者以外が読んでおもしろいわけがない。

が、三国志好きにとってはなんとなくおもしろそうな気がしてくるので、つい手を出してしまうのだよな。

そして、一読三嘆、なるほど儒者にとってはこうあるといいなぁという世界は、やはりくそみたいな世界だなぁと感嘆してしまう仕組みだ。

かくして孫文は追放され、袁世凱は帝位を目指すことになるのだが、他の地方豪族がそうはさせじと中原に鹿を追う競争が、夷狄の倭人も巻き込んで繰り広げられるのが中国の20世紀であった。儒教は死んだ。良かったね。

最後に勝ったのは、法家でも儒家でも民主主義でもなく、毛沢東の(ソ連もマルクスも無関係な)おれさま共産主義なのだが、それなりには法治であった。でもあまり良くなかったね。

ちなみにこの奇書が復活したのは1987年でこれまたなかなかおもしろい。

時期を考えると、なぜこの儒教布教のくだらない本が1987年かが見える。

鄧小平の改革開放路線に対するアンチテーゼだ。

鄧小平が推し進めた改革開放というのは能力主義であり、党幹部の子弟超優遇という人治から外れた、客観的に正しい国策だ。

それに対して、無能なおれたちにはやっぱり儒教の人治のほうがいい! という反動路線として儒教押しの本書があるわけだ。

それにしても、この儒教押しの本が堂々と復刻出版できたわけだから、その程度にまで鄧小平は統制を緩めたともいえる。そして緩め過ぎたと気づいた末に天安門事件が起きるのは本書復刻の2年後の1989年となる。

反三国志 上 (講談社文庫)(周大荒)


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