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妙にテンポ感が異なる指揮者で序曲(とは言い難い短さだが)からびっくりというので、ものすごく楽しみにしていたのだが痛恨の極みで、いつも通り14:00からだろうと13:30くらいに着いたら、なぜか13:00開演で既にミミが歌い始めていた。結局、モニターで女神のあたりから聴いて2幕から入場できた。
噂のテンポ感については、ムゼッタのワルツがびっくりするほど(確かにびっくりさせられる)ゆったりとしたワルツではなくレントラーかというような(レントに引っ張られているのであって、本当にレントラーの速度かどうかはあまり関係ない)速度だが、歌手(伊藤晴)がちゃんとついていっているのも凄い。結果として限りなく甘美な歌となって、これはどれだけ固く石のように冷え切っているマルチェッロでも振り向かざるを得ないだろうと舌を巻く。逆にマルチェッロのおれの心はまだ熱いが相当薄まってしまったような気はする。
3幕も実に良い。
ガンチのロドルフォは実にきれいな声で抜群。
4幕、それまで他の歌手に比べて声も低いようなどうにもいまひとつに感じていたミミ(マリーナ・コスタジャクソン)も良く、ちゃんと一幕から聴いていなかったせいで気分的に受け入れられなかったのかな? と思う。
それにしてもこの演出(というよりも今回の字幕、いつもと変えているとは思えないのだが)のショナールの「もって半年だな」とか、いろいろショナール(駒田敏章)が目立つ。
目立つだけに、それまで気にしたこともなかったが、プッチーニが脚本にいちいちダメ出ししまくったという逸話とあわせて、ジャコーザとイリッカが本当にいちいち余計なことを言って不快な野郎だから音楽家は一言多いダメ男にしてやろうと相談してああなった(が、コリーネに諭されて改心するわけで、ここにも実は何か実際のエピソードがあるのかも知れない)のかなぁと考える。
いずれにしても、どうにも、これまで観たどのラボエームよりも素晴らしかったように感じるだけに13:00開演を逃したのは痛恨の極みだ。
新国立劇場小劇場で焼肉ドラゴン。新国立劇場のアトレという月刊誌でやたらと取り上げているので、なんか観ないわけにはいかない気分にさせられて観に行った。
なるほど、これは実に良い演劇だった。
開演前から劇場内は焼肉の匂いが漂っているし、舞台上手の焼き肉屋ではおっさんたちが楽器を鳴らして昭和歌謡大会をしているはで気分は確かに1960年代末期(ちょうどおらは死んじまっただー、でこれは友人がレコードを持っていたので、1968~9年と知っている)の雰囲気が濃厚。
1970年のこんにちはが舞台なのかと思ったら、1969~1971の2年間の物語だったのだった。
ブルーライトヨコハマとか伊勢佐木町ブルースとか、焼き肉屋の3女(歌手志望)が歌いまくる。
哲男という次女の結婚相手があまりにも乱暴で気分が悪いのだが、物語が進むにつれて実はインテリ(学問修めたからってどうにもならんのはおれを見りゃわかるだろう、というようなセリフがある)で、共産党に加わったり、各種の解放運動や労働争議を戦ってきたということがわかり、社会の壁やら長女との心の行き違いやらから自暴自棄となっているのだなと理解できたときには、別れは近い。
最後、北、南、日本(少なくとも親元ではない)に3人の娘が別れていくが、なんとなく哲男の性格と来し方から、すくなくとも主体思想全盛の北ではそれなりに出世しそうに見える(正日時代になるとどうだかはわからんが)のが救いのような気がしないでもない。
屋根の上からの光景が2回語られる。最初はほぼ説明抜き、次は細かく説明で、特に2回目のシーンは1回目の思い出が残っている状態で演じられるだけに美しさがすごかった。父親役のイヨンソクという役者は抜群だ。
シナリオは緩急自在、笑わせるところは徹底的に笑わせる。特に終幕の太陽の塔のおみやげとリヤカーの2連発は死ぬかと思ったし、繰り返しギャグ(親友と抱き着くとか、碁盤ひっくり返しとか)も冴えている。
これは確かになんども演じられる傑作だと得心した(難点があるとすれば昭和歌謡が完全に過去のものとなったときに、コンテキストが消え去ったときだろう。もっともアリラン以外の韓国民謡は知らないわけだが、観ていて退屈するわけでもなんでもないので、問題ないのかも知れない)。
これまで知らなかったが、済州島の虐殺(米軍と李承晩による。日本はこれについては関係なさそう)に軽く触れられるのだが、台湾の2.28と同じく、日本撤退後の旧植民地での権力闘争は熾烈だったのだな(日本では表立っては血のメーデー、レッドパージと山村工作隊闘争くらいしかなく、虐殺レベルの問題は起きなかったのはラッキーだったのかも知れない)。
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